神と人間
限られた処理能力
数学=神の世界
数学では、演算にかかる時間やミス等というものは考えません。計算や推論をする主体は無限の記憶力と処理速度でしかも正確に実行するという前提で行われます。
例えば三次方程式の解の公式は、虚数も出てくる非常に複雑なものですが、解の公式を用いると計算に時間がかかることや計算間違いをしやすいことは数学の世界では考慮されません。
すなわち、(伝統的な)数学においては、処理する主体はまるで全能の神のような存在が暗黙のうちに仮定されてしまっています。
人間の世界
認知科学では、人間(や動物)の心や行動が対象となるので、必然的に、限られた処理能力が前提とされています。 以下に2つ例をあげておきます。
直観主義論理(intuitionistic logic)
伝統的数学とは異なる体系を作る試みが今までなされてきました。 ブラウアーが提唱した直観主義論理はおそらく最初のものでしょう。
直観主義論理では、結論が真か偽かよりも、実際に真か偽か確認するプロセスがあるか、という点を重視しています。 排中律(命題Pがあるとき、PかPの否定が必ず成り立つ)を認めていません。 明日雨が降るか降らないかは、神の世界では確定しているかもしれませんが、完全に予見する手段が無い人間の世界では自明ではありません。
計算複雑性(computational complexity)
コンピュータ科学においても、答えが存在することと、実際に答えを求める手続きとは全く別物です。 良く取り上げられるのが、巡回セールスマン問題(複数の訪問先を最短経路で回る方法)やナップサック問題(品物を効率良く収容する方法)等です。
巡回セールスマン問題は、最適解の存在は明らかです。しかし、巡回ルートが訪問先の指数関数のオーダーで増えるため、最適解を求めるのは困難です。